トルコ旅行記part4【イスタンブール編】
パムッカレより深夜バスでイスタンブールのオトガルに到着。
到着バス停がいくつかあったので乗務員の方に「イスタンブール、オトガル?」と聞きまくりました。
オトガルから電車に乗り、エユップへ。
ピエールロティのチャイハーネから眺める朝の金角湾は最高でしたね。
喫茶店もあり、一休みしながらチャイを飲むのもいいですね。
時間もあるので市街地まで歩くことに。
歩いていたら色々ありました。
以下写真
やっぱりイスタンブールは古代ローマ帝国の遺跡感があっていいですね。
その後はガタラへ
長友が完全移籍したことで有名なガラタサライのガラタですね。
ガラタ橋とガラタ塔
塔からの景色は素晴らしいの一言
ガラタ橋付近は観光名所で食べ物屋台が多く出ていました。
橋で釣ったサバを使ったサバサンドと海を眺め黄昏ながら食べるケバブサンドは158%マシで美味かったです。
ケバブサンドを食ってたらファッションデザイナーのスペイン人に話しかけられました。
スパニッシュ曰く、「ハクホウドウ、デンツウ、イズ、ビッグカンパニー。ユニクロ、ノーグッドカンパニー。」
わろてまいました。
この日はシルケジのゲストハウスで一泊しました
トルコ旅行記part4【パムッカレ編】
色々と忙しく、更新が滞ておりますが3月の頭の旅行記の続きを書いていきたいと思います。
カッパドキアから深夜バスで移動し、パムッカレに到着。
5時過ぎにホテルに着きましたが、ロビーで待つか、100リラ(多分)払って部屋に入るか聞かれました。
疲れていたので入りました。
その後、パラグライダーに乗りました。
サイコーでした。
カッパドキアでの気球といい、空に浮かぶのは楽しいですね。
次に世界遺産にも登録されているヒエラポリスに行きました。
ちょっと古代ローマの雰囲気を感じました。
また有名な石灰岩の温泉にもちょっとつかりました。
パムッカレは以上!
ヒエラポリスが唯一といっていい観光地みたいですね。
ホテルがいっぱいあり、観光地を実感しておりました。
夜には夜行バスに乗ってイスタンブールに帰還
誰やこんな予定立てたやつ、、、、
トルコ旅行記part3【カッパドキア編】
深夜バスをネッシュビルで降りて、乗り換えでひと悶着ありながらも無事ギョレメに到着
ギョレメではケマルズ・ゲストハウスに宿泊するので、朝荷物を置かせて貰いました。
とても良いご主人で珈琲を入れて貰いました。
その後イスタンブールで予約していたツアーに参加しました。
世界遺産にも登録されている地下宮殿は地獄に繋がるのではと思うほど深かったですね。
東京の地下鉄を思い出しました。
その後、ケマルズゲストハウスに戻り、寝ました。
次の日は朝から気球ツアーがありました。
気球は控えめに言って神過ぎました。
二万円ほどとお高いですが、絶対にやったほうがいいと断言できます。
その日はなんか有名らしい谷や峡谷を見ました。
P.S.
観光地にらくだが居たんですが、とても悲しそうな眼をしていたことが印象的でした。
トルコ旅行記 part2
3/3
今日はスルタンアフメット地区を散策することに
ゲストハウスで朝食を食べていると日本人の男女六人組が
一人で旅するような人種なので特にこちらからしゃべりかけることもなくご飯を食べているとしゃべりかけられました。なんと同じ大学だったよう。(私が大学名の入ったサークルのスウェットを着ていたから分かったみたい。)
世界の狭さを実感しながら情報交換していると、そのグループはカッパドキアにもう行ってきたそう。話によると天気が良くなかったらしく気球は向こう一週間は飛ばない可能性が高いらしい、、、私今日の夜行くのに、、
気を取り直して、まずはイスタンブールといえばここと言っても過言ではない、トプカプ宮殿に行くことに。
入口の門
この手前でミュージアムカードを120リラで購入しました。
日本円で4000円くらいなので物価が安いトルコにしては高い^_^;
名著「地球の歩き方」によると観光客から金をとろうという算段なよう
その根性、私は嫌いじゃないです。笑
宮殿内は一時代を築いたオスマン帝国を感じることができました。
イスラム文化圏であることを強く感じさせるタイルなどの装飾が美しいですね。歴代のスルタンたちはここで政治を行ったらしいです。
また右奥に進むとボスポラス海峡が見えます。
ヨーロッパ側からアジア側を臨むことができるのですが、こうして見てみると区分なんて所詮地図上の人間が決めたものに過ぎないことをひしひしと感じました。
昼食を摂った後はハギアソフィアに向かいました。
ここは高校の世界史でも習うほどイスラム建築の名作として名高いモスクです。残念ながら改修工事中だったようで完璧な姿を見ることはできませんでしたが、積み重ねた歴史を感じさせるとても荘厳な建物でした。
本当はミナレットは四本あるのですが建物自体が大きすぎて写真に入りきりませんでした。
スルタン・アフメット地区はイスタンブール随一の観光名所であり、多くの人がいます。私も日本語で何回も喋りかけられました。慣れてくればいのですが、最初は断りきれずに絨毯を買わされそうになりました。なんとか買わずにすみましたが危ないところでした。
このあと、イスタンブールのオトガル(バスステーション)からバスに乗り、カッパドキアのあるギョレメに向かいました。
トルコ一人旅行記 part1
2018年3月1日~3月10日でトルコに行ってきました。
その旅行記を書いていきたいと思います。
ちなみに友人を誘ったのですが誰も釣れなかったので一人旅です。
【日程】
3/3 イスタンブール市内市内観光、夜行バスでカッパドキアへ
3/4,5 カッパドキア観光、夜行バスでパムッカレへ
3/6 パムッカレ観光、夜行バスでイスタンブールへ
3/7,8 イスタンブール観光
3/9,10移動日
3月1日は23時55分発の飛行機に乗るため、21時ごろ関西国際空港に到着しました。
今回は前々から乗りたかったエミレーツ航空を利用しました。
中継地のドバイに着いたのは現地時間で5時半、日本時間で10時半でした。
割とすぐ寝れて、起きた後もアニメを見ていたのでそこまでの辛さはなかったですね。
機内食はおいしくなかったです。
ドバイ空港では5時間ほど時間がありましたが、Wifiが使えたので暇つぶしには困りませんでした。
一回空港の外に出ることもできたそうですが、到着時間が早朝だったため諦めました。
そこからまた5時間ほど飛行機に乗り、イスタンブールのアタチュルク空港に到着しました。
時差ぼけ対策のため寝なかったのでこちらの飛行機の方がきつかったですね。
アタチュルク空港で円をトルコリラに変えようとしたのですが、EXCHANGEが少なく割と歩き回ることになりました。
到着口から見て右端にあったPTT(トルコの郵便局)で10万円分を両替し、準備完了です。
またアタチュルク空港はWifiが電話番号を要求してきて、使えなかったです。
行く方は期待しないようにしてください。
宿はスルタンアフメット地区にとっていたのでそこからメトロと路面電車を乗り継いで向かうことにしました。
イスタンブールカード(Suicaみたいなもの)を買うのにまごつきましたが、日本語対応していたのでなんとか購入できました。
そのままチューリップゲストハウスに到着して、ちょっと散歩をして1日目は終了しました。
私がトルコに心惹かれる理由
はじめまして。
トルコが好きな人です。
初回は私がトルコを好きな理由をお話したいと思います。
①歴史的要因
トルコは地理的にヨーロッパとアジアにまたがった地域です。
そのため歴史的にアジア側とヨーロッパ側からの影響を強く受けています。
古くは東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都コンスタンティノープルとして発展しました。ローマ帝国の名前の通り古代ローマ文明が栄えており、476年に西ローマ帝国が滅ぼされて以降は名実ともにローマ文明の盟主となりました。(テルマエ・ロマエのイメージが分かりやすいかも)
その後、さらに東から力をつけたオスマン帝国のメフメト二世によってコンスタンティノープルは陥落し、東ローマ帝国が崩壊しました。すると今度はトルコ人により東方からのイスラム文化が花開きました。現在でもトプカプ宮殿を筆頭に、ドルマパフチェ宮殿、ベイレルベイ宮殿などがイスラム建築の傑作としてイスタンブールの観光名所となっています。
(船で山を越えコンスタンティノープルを効力するメフメト二世)
しかし、18世紀以降、産業革命が起こると、ヨーロッパ世界にオスマン帝国は押され始めます。また北の大国ロシアも不凍港を求めて南下政策を行いました。オスマン帝国は北と西からの圧力に直面します。
第一次世界大戦後、オスマン帝国は英仏伊やギリシャなどの占領下におかれます。そのなかでトルコ人が独立戦争を起こし、ムスタファ・ケマル(アタチュルク)のもとで独立を勝ち取り、現在のトルコとなりました。
トルコ人はアジア系(中東系)の民族ですがこのような地理的、歴史的な背景もあり、アジアとヨーロッパ二つの文明を感じることができる国となっています。(個人の意見です)
②雄大な大地
トルコは世界遺産、特に二つ登録されている複合遺産が素晴らしいです。
そのうちの一つ、カッパドキア(はトルコ中央に位置しており、昔の人が住んでいた地下都市や岩の家、一面の峡谷を楽しむことができます。また天気が良ければ気球で空高くからそれらを一望することができます。(私も乗りましたが最高でした。)
もう一つの複合遺産のパムッカレは石灰岩の温泉が有名ですがその他にもローマ時代の遺跡があるヒエラポリスもあり、イタリアのような雰囲気も感じることができます。
③親日国トルコ
知っている方も多いかもしれませんがトルコは世界でも有数の親日国として有名です。
その理由は明治時代までさかのぼります。
1890年、オスマン帝国の軍艦エトゥルルー号が日本からトルコに帰る途中、和歌山県沖で座礁し多くの死傷者を出しました。その際、生き残った船員を付近の住民が介抱しました。その後、戦艦「金剛」と「比叡」によってトルコに送り届けられました。そのことがトルコ国内で好意的な報道がなされ、日本に好印象を持つようになったと言われています。
いかがだったでしょうか。
正直、トルコって国名だけしか知らない人も多いと思います。
そんな人たちにちょっとでも興味を持つきっかけになってもらえればうれしい限りです。